花見山公園 3代目 阿部一夫

花見山公園 3代目 阿部 一夫

1951年生まれ。福島県立福島農蚕高等学校(現・福島県立福島明成高等学校)卒業後、家業に入る。花き農家一筋。

花見山公園 3代目 阿部 一夫
※2023年当時インタビュー

家族や案内人、そして先代の想いとともに
「花見山」を未来へと受け継ぐ

花見山公園が一般解放されたのは、一夫さんが小学校2年生のときでした。
花き農家の父・一郎さんの姿を見て育った一夫さんは、福島県立福島農蚕高等学校(現・福島県立福島明成高等学校)卒業後、すぐに家業に入ります。
その後、現在にいたる花見山の運営やご家族のことについて、お話を伺いました。

―今年は例年になく桜の開花も早く、多くの人が訪れました。
毎年、大勢の人が花見山の春を心待ちにしてくれているのがわかります。ここ数年は花の見頃が早く進みすぎるので、八重桜など開花時期の遅い花を増やし、より多くの方に楽しんでもらえるように工夫をしています。

―花見山公園の運営を引き継いで約10年が経ちましたね。
3月になるとたくさんの人が来てくださるので、これまで休む暇がありませんでした。目の前のことに夢中になって取り組むうちに、いつの間にか10年が経ったという感じで、時が過ぎるのが早すぎますね。

―ふと思い出す、胸に残っている父・一郎さんの言葉はありますか。
「無心」です。父は無心という言葉が好きでしたから。
ちょっと悩み事があったりすると、石をいじったり、草や庭を手入れしたり。そうするといつのまにか気持ちが晴れる。
自然に触れることで悩みが一瞬「無心」になる、そんな感じで気持ちがリセットされて、また次のステップに進めます。次はこんなことをやってみようとか、花を植えてみようとか、そんなひらめきが湧いてくるというかね。
父は、よき相棒(パートナー)でした。

―今は息子の晃治さんが、一夫さんにとっての相棒ですか。
今はまだ息子よりも職員さんと作業に出ることが多いかな。でも、息子をはじめ家族といろいろ話し合いながら、お互いにやりやすいよう一体となってやっています。
息子は花き市場で研修を受けてきましたが、畑の管理は私が主にやってきました。そういうのは経験しかありませんので、経験したことがないことを実践で教えたいなと思っています。「こんなものを作付けしていったほうがいい」とかね。
私がいいと思っても息子が気に入らなければ管理はできませんし、やっぱり向き不向きがありますから、ともに考えながらやっているところです。

花見山公園入口(2023年5月撮影)
花見山公園入口(2023年5月撮影)
使われなくなった吸い殻入れをプランターとして再利用。花案内人のアイデアが生かされている。
使われなくなった吸い殻入れをプランターとして再利用。
花案内人のアイデアが生かされている。

―ご家族以外にも、花見山にはガイドなどをしてくれる「ふくしま花案内人」の皆さんが大勢いらっしゃいますね。
案内人は父が一期生から育成し、知識を伝えるなどすべてに携わってきましたので、皆さん父の言った言葉をすべて記録しているし記憶してくれています。
私は花見山の手入れのほうに集中していてそのような記録を残していなかったので、助かっています。
それに、花見山内の「ここの枝を取ったほうが来訪者も歩きやすい」とか、私より先に案内人の方が気付いてくれることも。だから逆に「どんなこと改善したらいい?」と案内人の方に聞いています。
また、最近ではチューリップの植え付けや、菜の花の畑作りなども案内人の方に手伝ってもらっています。以前は忙しい時期に家族総出でやっていたので大変でした。

―いい信頼関係、いいチームワークですね。最後に、来訪者の方にメッセージを。
「花見山に来てくださる皆さんが気を遣うことなく、それぞれが自由に見て、散策してもらえるといいですね」

花見山が主役なので自分は黒子に徹し、来訪者それぞれの視点で心地よく見てもらえたら嬉しいという、一夫さんの来訪者へのあたたかな気持ちと花見山への愛情がたっぷりと感じられました。

これからも花見山という福島市の財産は、ご家族や花案内人の皆さん、そして先代の想いとともに、100年先の未来へと受け継がれていくことでしょう。

ふくしま花案内人活動開始式で挨拶する様子
ふくしま花案内人活動開始式で挨拶する様子
ふくしま花案内人の研修で説明する一夫さん
ふくしま花案内人の研修で説明する一夫さん
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木曜日, 30 3月
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